吹奏楽

この夏、たくさんの吹奏楽部の中学生たちと関わってきて最も強く感じたこと。

 

本当にコンクール受けたいっていう気持ちの根底はどこにある?賞のため?演奏するため?誰のために?進学のため?

我々プロフェッショナルや音大生にコンクールやオーディションがあるということや必要性(必要悪)に関しては理解できる。

ある程度理不尽なことが起きても、そういうものだと納得できる。 しかしプロフェッショナルや音大生というのは世界全体から見たら超特異な存在で、その道を選んだ人間が通るべき道を、果たして音楽を愛する人々に強いることが必ずしも正しいことなのだろうか?と常々思ってしまう。

 

例えば音程とか。楽器初めて数年の子供たちが音程合わせるのは可能ですよ、可能だけどめちゃくちゃ難しいしストレスかかる練習めっちゃ繰り返させることになると思う。その練習、ひいてはそんなことばっか気にした演奏が果たして楽しいのか?人間的成長を本当に促進するものなのか?

 

これはそもそも連盟や部活の方針そのものに疑問を投げかけているのと同義と誤解されてしまうかもしれないので、予め宣言しておくが、私自身は吹奏楽部や楽団、あるいは個人の「受ける、挑戦する」という決定自体は全く否定しないし、一音楽家として全力で応援したい。せっかく普段楽しく頑張って音楽に触れているのだから、コンクールというたった一つの場所でヘコんだりしないで欲しい。本当に。だから応援する。(認められなかったら凹むのは当然だし)

 

特に中高生は人間としての人格を形成する重要な時期で、そのような多感な時期に軍隊のような世界を体験させることにどれほどの意義、あるいは損失があるのか?と考える。 結局、社会や部活の大きな流れの中で何か大きな声を上げるということは出来ない(するべきでない)から、いち外部講師に出来ることなど限られているのだが、自分の想いは忘れず、そして考え続けて活動していきたいと思った。

 

この歳になってやっと少し、「いろんな音楽」の「いろんな魅力」というのがわかるようになってきた。どれもトレードオフではあるが、それでいい。 人のためとか感謝の気持ちだとかよく言うが、まあそれ自体もめちゃくちゃ大事なのは全然否定しないが、それ以前にまず演奏する人、一人一人が音楽を出来る幸せを全身で噛み締めてほしいと思う。そうじゃなければ人に音楽は届けられない。

 

若輩ながら「人に教える」という機会が少しずつ増えてきた。 ありがたいことだが、恐ろしく重い責任のある話だ。 私が生徒の皆にするべきは一つだけ。 その人が自分を信じてステージに上がってもらうためのお手伝いだ。これが全てだと思う。