薬という考え方について

音楽において、「人の心を動かす」というような表現がある。
ありふれている上に陳腐この上ない言葉であるとずっと考えていた。
しかし、音楽が人間の感情ーつまり脳ーに作用し何かしらの反応(つまり感動)を引き起こしているのならば、それにはれっきとした技術や方法というものがいずれは確立されるのではないだろうか。

食文化というものがまさにそれに当てはまると言えるのではないか。
我々は食べるということが、全く自然の行為として、その1度あたりの食事に別段特別なことは考えないが、何を食べるのかを決めることで、自らの身体に作用させる栄養を自ら決めることが出来る。

音楽においても、どの音楽を聴くかを自由に選ぶことが出来、その音楽の内容によって自身が得る感想も期待したものに寄せることが出来る。
我々が自ら、どのようなものを選び、それを成長させるか選ぶことの出来る演奏においても、受け取り手にどのような栄養素を共有するのか選ぶことが出来るのではないだろうか。
感動のメカニズムも化学になるのではなかろうか。
さすれば、より多くの人にとって音楽というものが娯楽としてだけでなく、救いの道標としても利用することが出来るようになる。

しかし、音楽…というか、とりわけ人間の感情の部分は、我々民間人レベルの感覚ではやはり、積極的な介入はタブーとされるイメージもある。
それは理解できるし、何よりも感情に積極的に作用する音楽に慣れてしまった未来というのも、またドラッグのような世界になってしまうのではないかという危惧もある。

私が生きている間にそのようなアプローチが生まれるとは思わないが、芸術が持つ役割というのはどのように変化していくのだろうか。
バッハがどの時代の人間にも響かなくなる時代はやがて来るのだろうか。
驕りのきっかけにするわけではないが、音楽という文化は本当に高度なものだと思う。
私や多くの音楽家が願うことだが、どうか、なるべく長い時間や時代をもって、多くの好きな音楽に出会える楽しみを味わって欲しいと思う。