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※このブログは創作活動に転用されます 多分

「自分自身を知る」
齢26にして、思春期のような 全く青い目標を企てた私は、静まり返った環状7号線を歩いていた。

耳栓をするようにイヤホンを装着し、擬似的な楽興の時へと身を委ねる。

誰もいない道を1人で歩く。
それは私にとって、受難でもあり、救いでもあった。

誰にも犯されない時間。空間。思考。
その1つでも失われれば私は私でいられなくなるのだ。

私が自らの思考や感情に対し 目を背けながら生きていたのを自覚したのは、それほど昔のことではない。
いつも自分のことはどこか蔑ろで、本当に表明したいことを隠して生きていたのではないかと常々思う。
それを誰もが思っているのかは知らないが、なんだか無邪気に笑う人々を見ていたら、それが正しいのかに関わらず、正直に生きられる人を羨ましく思うようになった。

だから、自らが望むものは何か、今は分からないが 探してみようと思った。のだと思う。
今は自分の気持ちをこのように説明しているが、本当にそれが正直な気持ちなのか、それを確かめられる術を私は知らない。

深夜の環七通りは静かだった。
時折私を抜かしていく車は、私の心中を掻き乱していくような音を鳴らしていた。


真に人が孤独に生きる時、私は私をどのようにして救えるのだろうか。
この世に生きとし多くの人が、多くの生命は、自らのそれを全うしようと、全力でもがくのだろう。
私にはそれをしている感覚も実感も、手応えも感じられないのだ。

不幸だな、とは思わない。
しかし、一抹の寂しさを、感じずにはいられなくなる。
もっと、全身に電気が走るような感情を受け止められたら、発することが出来たら、私はもっと豊かに生きられるのだろうと思う。


せいぜい、考えが行き詰まった私に出来ることは、擬似的な楽興の時に身を委ね、そこに広がる音楽に救いを求めることだけだった。
それが私の答えなのだろうか。